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あさじむおう

Author:あさじむおう
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鎌倉・稲村ケ崎『池田丸』、十一人塚、八幡宮源平池
【予告】
 ええ……実は「花咲くいろは」劇場版が、TOHOでは石川の方でしかやらずに、こちらでは川崎のみでの上映となり……これはアレですかね!? 「TARI TARI」劇場版の時は神奈川優遇ですかね!?
 「花咲くいろは」と言ったら「ぼんぼり祭り」ですが、奇しくも上映日である3月30日近辺で、ちょうど川崎は、とあるお祭の時期です。
 この祭りは、今までも行きたかったけど思い出した時には終っていたりして行けなかったもので、川崎という土地の歴史と深く結びいているものです。(ゴローちゃんが「うぉぉぉぉぉん」した後、「しかし今は……」と止めたアレ)
 そんな訳で、これについては、後日、レポートしたいと思います。
 他にも、3月16日からは「ダイナソー・プロジェクト」が上映開始、また上野の科博では「グレートジャーニー 人類の旅」展が開催されたりと、中々忙しい春なのですが、その「人類の旅」と、ちょっとだけ関係のあるといえばある所のご紹介。
 その場所とは……鎌倉。
「なんだよ、また鎌倉かよ!!」
 ええ、まぁ、その、すみません……。中々、遠くへ出かけられないもので……
 ※なお人類の旅の途中の地点が日本であり鎌倉であるとかいう根本的な点は除いて考える事にする。

 鎌倉に稲村ケ崎という場所があります。
 一般にはサーファーのメッカとされていますが、サーファーがわらわらいるのは、むしろ隣の七里ケ浜寄りの方な気もするんですが、どうでしょう?
 のどかな砂浜の続くいい場所で、天気のいい日にここにいると、幕末には台場があった、とか、1910年に海難事故で中学生が亡くなった慰霊碑があるだとか、太平洋戦争末期の特攻部隊『伏龍』の基地があるだとか、どんな過去も砂が呑み込み、やがては人類の存在自体も埋もれ消え行くのだろうなぁ、などと言うような感慨に浸れたりします。
 そもそも鎌倉一帯というのは鎌倉幕府が成立し滅亡して行った土地で、どーして鎌倉が都として選ばれたかというと、三方を山に囲まれ前は海という「天然の要害(要塞)」であるからです。
 つまり、敵が攻め入るのが難しかったから。
 その攻め入るのが難しかった鎌倉へと新田義貞が攻め入ったルート、鎌倉幕府が滅亡する直接のきっかけとなったのが、ここ稲村ケ崎。
 新田義貞が、潮が引くのを念じて海に太刀を投げ込むと潮が引き、海沿いを渡って鎌倉へと攻め入った、という話です。
 その辺りは割と有名な話だし、wikiにも載ってるし、今僕も見てたし、ご参照ください。
 wikiがアテになるのかというとそんな事ない場合も多いんですが……。
 でもって、その新田義貞に命じられて極楽寺切通しから鎌倉へと攻め入った大館宗氏以下十一人が討ち死にし、彼らを祀ったのが十一人塚。
 250311_07.jpg
 今はないですが、元々は十一面観音があったようですね。

 ……とまぁ、ここまでは「歴史」のお話。
 さて、この十一人塚の敷地内に、まあるい石がおいてあります。
 (ところで今回、iPhoneでしか撮ってないので、いつもより写真がデジカメっぽくなってると思いますが、簡単なブログ記事用なら、このぐらいでいいかなと思わない事もない……)

250311_05.jpg

 さて、なんでしょう?
 献花されているので、なんとなくお墓っぽい事は分かりますよね?
 無縁仏?
 正解は、次の案内板をご覧下さい。

250311_04.jpg

 鎌倉は鎌倉幕府が成立し、そして滅亡していった土地です。
 ここでは激しい戦いが繰り広げられ、多数の戦死者が発生しました。
 どのくらい多数か、と言うと「太平記」によれば六千以上。
 この案内板に書かれている極楽寺の遺跡から実際に出土した骨は約1000体。

20130312_09.jpg


骨が語る日本史骨が語る日本史
(2009/05)
鈴木 尚、馬場 悠男 他

商品詳細を見る

 より。
 この遺跡の発掘を行った故・鈴木尚氏(この案内板に書かれている「東京大学人類学教室」の教授)の、この本によると、極楽寺遺跡からの骨は、全身骨格や体が繋がったものが全く認められず、白骨化した骨を拾い集めて埋めたものであろうとの事。
 頭蓋骨には下顎がなく、頭頂部を上に向けておいてあるものが多かったとか。
 また鉄の鏃が頭を前から貫通して後頭部刺さり先端が折れ曲がった状態で発見された男性の頭蓋骨もあったそうっていうか写真が載ってるんですが、不鮮明ながらも、わー本当に刺さってるよーーーー!!
 鎌倉市街を挟んだ反対側にある材木座からは910体の人骨が発見され、こちらには完全にな全身骨格や関節が繋がったものがあるため、死後間もなく埋葬されたものであろうと推測しています。
 こちらの材木座からのものの頭蓋骨には、刀で肉を削り取った跡があるものが半数以上で、これは病気の治療に死体の肉が効くという迷信からの行為ではなかろうか、と鈴木氏は考えていたようです。

 以下は、神奈川県の地域史調べる時には大変に役に立つ「有隣」の平成15年9月10日第430号から抜粋。

1956年に調査された、有名な材木座遺跡の報告書では、刀創例は頭蓋283例のうち191例、受傷率は65.7%という高率なんです。受傷率だけを比較すると非常に違うのですが、材木座の刀創では斬創という、非常に深い、頭蓋腔内に刀が入り込んでいるような傷は1.8%しかないのです。
 斬創ほど深くない切創が九・九%です。一番多いのが掻創(そうそう)と言って引っかいたような傷で、死後に皮膚をむいたとか、人の手が加わったのではないかと考えられる傷が54.1%、半分以上を占めています」


 なお、この「有隣」の記事では、極楽寺と材木座の中間……というか鎌倉の八幡宮の鳥居をずーーーっと下って行った先にある由比ケ浜の遺跡の事を話しています。

この由比ケ浜南遺跡からは5000体ぐらいの人骨が。

 ただし、これは合戦だけのものではない様子です。
 要するに庶民の遺体置き場だったとか、そんな感じなんですが……
 「有隣」の同じ記事から。

埋葬人骨には、特殊な例が多く、分析も全部は終了していないのですが、集積埋葬だけで40基近くありまして、一番多い穴には500体ぐらい埋葬されています。だいたい200年で40基ぐらいですから、数10人から2、300人が死ぬ状況が、数年に一回、鎌倉の中であったということになります。」

 鎌倉でこうして中世の人骨が出土するのは、砂地なので骨が残り易いから、らしいです。
 中世日本というのが一体どんな世界だったのか、そのリアルを伺い知る事のできる貴重な証拠ですね。

 この故・鈴木尚氏は、他にも日本の人類学に多大な貢献をされた方であり、くわえて国立科学博物館に人類研究部を新設するよう働きかけた人物で、その人類研究室の初代室長でもあります。
 その科博で16日から行われるのが「人類の旅」展。(わーい! やっと繋がったーーー!!!)
 これはもう、なにがなんでも行かなきゃ!!

 長くなっちゃいましたが、実はこれを見に行った訳ではなく、本当に偶然たまたま道すがら見つけただけでした。
 詳しく書くと、叔母を連れてちょっと食事に来ていた訳ですが、その帰り道に叔母が「十一人塚だって」と石碑を見つけて気味悪がったので行ってみたところ、読もうと思って買っておきネアンデルタール人の所を読んだ後で放置状態になっていた「骨が語る日本史」に載っているであろう内容の案内板も立っており、いつものミラーレスを持っていなかったのでiPhoneで撮り、今日、昼間にファミレスで本の該当の章を読んでいた、という次第です。
 なんか僕が大変にイジワルな人みたいですが、鎌倉で塚だとか墓だとか大刀洗だとか自害だとか地獄谷だとかで気味悪がってたら歩いてられませんよ!?
 伝説だけでなく上のように人骨大量出土したりするのが鎌倉という土地で、そんな所が素敵ですね。
 
 それで食事なのですが、稲村ケ崎の海沿いにある、「池田丸」の二号店。
 ここは漁師さんのやっているお店、のようなんですが

250311_01.jpg
 ホウボウの煮付け。

「ぼくのこと……食べるの?」
 うん……。ごめんね。
 中々の美味。

250311_02.jpg
 ウマヅラハギの煮付け。

 肝が美味かったな。

 他には生シラスや刺身が美味かったです。
 
250311_03.jpg

 この「池田丸」二号店、以前は自家製パンが食べ放題のイタリアンだったので、店構えは漁師のお店的なものとはかけ離れています。
 本店は腰越にあって、そっちはいかにも漁港にありそうな感じ。
 
 さて、最後は鎌倉八幡宮。
 250311_09.jpg
250311_08.jpg

 源氏池の……水が……!!!
 天変地異の前触れか!?

 実は浚渫……ドブさらいをはじめるそうです。神社の神主さんに「浚渫(しゅんせつ」って言われて僕は妙な顔をしたらしく、平易に言い直されました。

僕「なんか出てきませんか?」
神主「無理だね。そんな古いもんじゃないんだから。戦後の食料事情の時には米作ってたんだから」
 
 それは初めて聞いたような。
 あれ? いや、聞いた事あったかな?
 しかし、田畠だったからと言って、何も出てこないとは限らないのです!!
 畑だった場所の下に何かが埋まっていれば出てくるわけで、実際、畑から土器やら考古遺物やらは出ます。
 高度経済成長期からは、ほとんどが建設工事現場なんだけど。
 あ、そういえば
「土器なんてものはうちの畑からも出て来て、弥生式と縄文式のものが一緒になって出てくる、だからバカ学者のやる土器で時代区分なんて年代測定は間違っているのだ!」
 みたいな素人意見をネットで読みましたが、それは土壌搔乱と言って、耕されると(もしくは倒木やミミズ・モグラなどの地下生物などの働きなど)、土中がかき乱されるので層位(どっちが先に埋まったのかの順序)が明らかでない状態で出土する、という事です。

 八幡宮は明治になるまでは仏教寺院であり

「江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂等を建築し、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在した」
 wikiより。

 明治の頃に神仏分離令で「僧侶と神主を兼任してるものは還俗するように」とお達しが来ると、僧侶たちは喜んで還俗し、これ幸いと藤沢から遊女をめとって妻帯する者もあった、などと伝えられていたりするようで。
 その生臭さ自体は観光地の坊主らしくて好きって言えば好きかもしれない。
 神仏分離では、日吉山王社みたいなひどい例もあったり、廃仏毀釈によるヒステリックな仏教文化の破壊は、長谷の大仏が二束三文でとある外国人商人に売られそうになるような事態を生み出したりもするんですが、それはまたいずれ。
 彼は最終的には、「日本文化のために良くない」と、買わなかったそうです。
 彼の名は、サミュエル・コッキング。
 江ノ島の頂上、展望台のあるサミュエル・コッキング苑の名前の由来になった人物です。
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未分類 | 12:16:31 | トラックバック(0) | コメント(2)
コメント
この間(といっても大分前ですが)、旅行で初めて鎌倉に行ってきた関西人です。
コースは北鎌倉駅で下車後、円覚寺・浄智寺・建長寺・鶴岡八幡宮・鎌倉国宝館・大仏とまわりました。
一日で見るには中々ハードなコースでしたが、所々でフラワーズの背景のモデルらしき場所が見れて楽しかったです。
神仏分離ですが関西では石清水八幡宮も明治以前は僧侶が神官を兼任してたという話を聞いた事があります。
また、鶴岡八幡宮の弁天像を鎌倉国宝館で見たのですが、本来は仏教系の神であるはずなのに神仏分離後も神社に残ったのは不思議な感じでした。
2013-03-29 金 21:38:54 | URL | 艦載人 [編集]
Re: タイトルなし
特に江戸時代にあって、大きな神社では、基本的に僧侶が神職の上に立つ身分であったようですね。
鎌倉の八幡宮が仏寺だった頃のものの一部は、上野の国立博物館に収蔵されてるらしいです。
弁天といえば、江島神社も神仏分離令までは与願寺という仏教寺院で、宿坊だったものが旅館になっていたりしますが、土産物屋街の坂道を登った先、三つある社の最初である辺津宮の脇には弁天堂があります。
ここには弁天像二体と共に、インドの人から寄贈されたサラスヴァティーの像が置かれていたりして、一体、どういう拝み方をすればいいのか、一瞬、迷います。笑
まあでも、それこそが日本らしいと言えばらしい気も。
たとえば、なぜ日本人は記紀神話の神の名前に疎いのか、みたいに言われることがありますが、「名前が長い」、「なんかたくさんいる」、以上に、「日本の伝統的にどうでもいい」が大きな理由なんじゃなかろうかと思います。
ほおづえついている如意観音像が「歯痛の神様」として拝まれたり、稲荷に油揚げを供えたり、みたいなのが、日本に根付いている自然な信仰の姿であって、オフィシャル設定の細々した部分までは普通はあんまり気にしてなかったんじゃないかなーと。
飢饉とか呪詛とか、どうしようもなく切羽詰まってる場所や場面での信仰になると、形式や神の名前の意味が大きくなってきたりするのではないかと思いますけど、まぁそれはおいおい学んで行きたい所です。
2013-04-01 月 21:33:08 | URL | あさじ [編集]
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